雄大な伊吹山のふもとに広がるのは、青い人工芝を敷いたホッケー専用スタジアム。
この施設が整備されたのは、1981年の「びわこ国体」がきっかけでした。
それを機に、米原市のなかでも旧伊吹町を中心にホッケーが身近なスポーツとして定着し、ここから世界で活躍する選手を輩出してきました。
東京2020オリンピックのホッケー日本代表チームで活躍した、米原市出身の5人の選手たちも幼いころからここで練習に励んできたんだとか!
そして2020年には米原を拠点に、日本最高峰のホッケー日本リーグに挑むクラブチーム『BlueSticks SHIGA(ブルースティックスシガ)』が発足。初年度に「H2」で2位という成績を収め、今年から「H1」の大舞台に挑みます!
びわこ国体がきっかけとなったホッケー文化。
これまでの40年間の歩みと、これからに向けて、滋賀のホッケーを支える人たちに会いに行ってみました!
滋賀のホッケーを元気にするために生まれた『BlueSticks SHIGA(ブルースティックスシガ)』
訪れたのは伊吹山のふもと、米原市春照にある「OSPホッケースタジアム」。ネットに掲げられているのは、東京2020オリンピックの日本代表に選出された、地元出身の選手を応援する横断幕です。
男子サムライジャパンの田中健太選手、吉川貴史選手、山田翔太選手と、女子さくらジャパンの松本夏波選手、森花音選手。なんと5人全員が伊吹山中学校出身なんだとか!
旧伊吹町は人口約5,000人の小さな町。そこから世界を相手に戦うスポーツ選手が5人も出ているって、すごくないですか?
そしてこの場所をホームに、日本のトップレベルで戦うため誕生したクラブチームが「ブルースティックスシガ」です。
米原ではびわこ国体をきっかけに、スポーツ少年団や中学・高校での部活動などでホッケーが、子どもたちにとって身近なスポーツとして親しまれてきました。
けれど、学生時代にホッケーに打ち込み高いスキルを身に着けても、その先に活躍できる場が地元滋賀にはなかったため、他府県のチームに所属したり、ホッケーを引退する選手が多かったといいます。
こうした事態を打開するには、トップレベルのチームと戦えるクラブチームが地元に必要だということもあり、県内企業の支援を受け、2020年3月に「ブルースティックスシガ」が発足しました。
チームの母体は、地元の社会人チーム・滋賀クラブと、彦根市にある聖泉大学男子ホッケー部で、聖泉大学の選手以外は、ほとんどが地元の伊吹で育った選手たちです。
目が離せなくなる、スピーディーな試合展開がホッケーの魅力
この日、コートで行われていたのは、ブルースティックスシガと伊吹高校の練習試合。
巧みにボールを操り、豪快にパスやシュートを放つ音が響いています。
ホッケーにあまり詳しくないという人のために、まずは簡単に競技の魅力をご紹介!
コートはサッカーよりも一回り小さめ。使用するボールはちょっと大きめのゴルフボールを想像してもらうのが分かりやすいかもしれません。
プレーヤーはスティックを使ったドリブルとパスで、ボールをゴールへと運びます。
スティックは、先端がU字になっていて、平らな面でしかボールを扱えません。正確なドリブルやパスをするには高度な技術が必要となります。
シュート時のボールの速度は時速200㎞を超えるともいいます!
そのスピードに一役買っているのが、人工芝にまかれる水!
水が摩擦を軽減するのでボールのスピードが上がり、素早いパス交換やシュートが生まれます。
華麗なパスワークから、空中を使ったドリブルまで!あっという間に局面が変わる面白さがあります。ホッケーの試合を観戦すると、コート全体を使って繰り広げられる攻防に魅了される人も多いんだそう。
ブルースティックスシガの主軸!地元出身メンバーをご紹介!
カメラの前でポーズを決めてくれたのは、ブルースティックスシガの主要メンバー。
左から、渡辺幹太さん、畑野修平さん、的塲洸希さん、森川晴貴さん。
みなさん米原出身で、競技と仕事を両立する社会人スポーツ選手です。
「兄弟の影響で始めたんですけど、周りの友達にもホッケーをやっている人が多くて、やるのが当たり前な感じでした」と話してくれたのは、畑野さん。
豊富な運動量と的確な状況判断能力で、チャンスを生み出しピンチを防ぐ、チームの攻守の要です。昨年度「H2」のベストイレブンにも選ばれていて、今年も活躍が期待されています。
同じく、ベストイレブンに選出された的塲さんは、スピードあるドリブルで果敢にゴールを狙う攻撃の要です。スティックを使ったリフティング技を見せてくれました!
「社会人1年目の年にブルースティックスができ、働きながらでもトップレベルでホッケーを続けることができてうれしいです」。現在は仕事の都合で京都在住。平日は仕事終わりに走り込み、土日は伊吹に戻り練習と忙しい日々を過ごしています。
「今年はH1参戦でレベルは格段に上がりますが、積極的に得点に絡んでいきたい」と意気込みます。
シュート練習に励んでいた渡辺さんは、「伊吹高校でホッケーに打ち込みましたが、卒業後は、それ以上の技術向上は難しいと思っていました。でも、ブルースティックスに入ったことで、高いレベルで試合ができ、さらに向上できる場ができてうれしい」と笑顔で話してくれました。
ゴールキーパーの森川さんは、飛んでくるボールを体をはって止める、まさにチームの守護神!
「ブルースティックスができたことで、地元で日本リーグの試合が開催できます。小中学生にも試合を見てもらって、上を目指したいと思ってもらえれば」と話します。
彼らが挑む、ホッケー最高峰リーグは、新型コロナ感染拡大の影響で、試合開催日が流動的になっていますが、試合の様子は動画でも配信されます。詳細は公式サイトをご確認ください。
一般社団法人ホッケージャパンリーグ:https://hjl-hockey.tv
ホッケー経験者が支える、米原のホッケー文化
ブルースティックスシガを支える側で尽力する、事務局の岩山幸太郎さん(左)と、ゼネラルマネージャーの大澤愛一郎さん(右)にも話を伺いました。
お二人とも、地元出身でホッケー経験者。ホッケーに関しては人一倍の愛情を持っています!
「僕が子どもの頃は、1クラス30人全員がホッケーやってたかも(笑)。それくらい、ホッケーをやるのが当たり前でしたね。そんな土壌を作ってくれたのは、僕らをはじめ、現日本代表の子らにもホッケーを指導してくれた鈴木金良さんの力が大きいです」。
鈴木さんは、びわこ国体を機に米原に拠点を移し、伊吹山中学校ホッケー部顧問としてホッケーの定着に力を注いでこられました。ブルースティックスシガ設立時のゼネラルマネージャーでもあります。
岩山さんも鈴木さんの教え子で、日本代表にも選出されたことのある実力者。
「僕が選手のときもそうでしたが、オリンピック出場を目指すとなると、国内最高峰リーグに所属するチームがない滋賀には戻ってこられない。今の日本代表の中にも同じ理由で滋賀に戻れない選手たちがいます。ブルースティックスシガは、これからの滋賀のホッケーにとって大きな存在になると思っています」
「僕も学生時代はホッケーに打ち込みましたが、社会人になってからは趣味として楽しむ程度で。でも、ブルースティックス設立の話を聞き、一企業人として力が貸せれば、地元への恩返しにもなるんじゃないかと思って。びわこ国体のときは、行政と地域が中心でしたが、これからは地域・企業・行政の三位一体で盛り上げていくのが地域スポーツのあり方かもしれません。スポーツで培った強い精神力を持った若者が、地元にチームがあれば帰ってきてくれる。これは地域や企業にとってもすごく魅力的なことですよ」。
「何より、まずは競技場でブルースティックスの試合を見てほしい」と二人は声をそろえます。
「コロナ禍で観戦にも制限がありますが、秋からはトップリーグが開幕します。ぜひ試合を見て、まずはホッケーというスポーツを好きになってほしい。そして、この小さな町からでも、世界が目指せるってことも知ってほしい!ブルースティックスが滋賀の子どもたちの憧れになれればうれしいですね」。
東京2020オリンピックは終わりましたが、次のオリンピックを目指し、今後もOSPホッケースタジアムでは大きな大会が予定されています。
2022年「ワールドマスターズゲームズ2021関西」
2023年「全日本社会人ホッケー選手権大会」
2025年「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ2025」
ここから世界を目指す、未来の日本代表が生まれるかもしれません!
ホッケーや彼らに、熱い声援を送ってみませんか?